こんばんは。
私は結構昔のことをよく覚えているほうだと思います。
先日、同窓会のお誘いがありました。(今回は出席できませんが)
その時に色々な人の名前が挙がりました。
その中で、小学校から高校まで好きだった人の名前も挙がりました。
20年以上前に結婚して、苗字は変わっているみたいですが、なんて苗字かは聞いたような気はしますが、わかりません。
なんか、見てみたい気はしますが…。
50歳になった姿は見たくないっていうにもとてもあります。
(かなり自分の事は棚に上げていますが…)
私がその女性を好きだった事はその女性も含めて、誰も知りません。
というのも、ずっとその女性は他の男性が好きだったからなのですが…。
私の把握している限りでは、小学校かわ高校までで2人です。
「小学校3年から高校1年まで」「高校1年から高校3年まで」の2人です。
ちなみに私がその女性を好きだったのは、「小学校1年から高校3年まで」でした。
(少しその当時のことを書きますが、はっきり覚えていなかったりすることなどは、少し想像や願望など混ざったりします。)
当時、私はとある田舎の”村”で小中高と過ごしました。
小さな村で、その村の中に当時”部落”と呼んでいましたが、一般に言われる”差別部落”とは違うものだと思います。というのも、村全体で個々地域をそう呼んでいましたので。現在では、色々と合併して”町”となっており、その下部組織?として自治区として組織されているようです。
私の部落は村のほぼ中央に位置しており、小学校が「西小学校」「東小学校」の2つがあり、中学校が1つありました。私は西小学校へ通っていました。
今でも一部地域で「集団登校」を行っているところもあるとは思いますが、西小学校でも部落ごとにそれを行っていました。
西小学校までの距離は約1.5km(今グーグルマップで調べましたが、そんなに近かったのかって思いました)で30~40分くらいはかかっていたような気がします。
集合場所は、村役場の別棟の給食センターの裏口?だったお思います。家から5分くらいの距離です。
先ほど説明した通り、私の部落は村のほぼ中央に位置していますので、多分だとは思いますが、「役場」や「中学校」などはすぐ近くに集まっていました。
朝は8時前に集合して、一列にならんで登校していました。総勢10~12人ほどの規模で(各学年1~3人ほどでした)班長と副班長が決められていて、先頭が副班長で末尾が班長となり後は低学年から順番に並んで登校しました。
朝出発までの間、その年によって流行りの違いはありましたが、割と「缶蹴り」頻繁にしていたと記憶しています。
「缶蹴り」のルールは、
- 空き缶を用意する。
- 鬼を一人決める。
- 鬼以外の子が缶を蹴る。(スタート)
- 鬼は蹴られた缶を拾ってきて、決めた場所へ立てる。その間にほかの子は隠れる。
- 鬼は缶を立てたら、隠れている子を探す。
- 鬼は子を見つけたら、すばやく缶まで戻り、「○○くん、みっけ!」とその子の名前を呼んで缶を踏みます。
- 名前を呼ばれた子は、仲間が助けてくれるのを、決められた場所でじっと待つ。
- 鬼が缶から離れている隙に、隠れていた子が缶を蹴ると、捕まっていた子は逃げることが出来る。鬼は缶を立てて、再スタート。
- 鬼が缶を蹴られることなく、全員を見つけることが出来たら鬼の勝ち。
更に独自のルールで、”まま子”と言われるルールが存在していて、低学年(1~2年)くらいまでは”ままこ”扱いとされていました。この場合、”ままこ”は「鬼にならない」というルールでした。
(一般に言う”継子”と言われるのは、『 自分の子で、血のつながりのない子。実子でない子。』などと言われますが、この場合、『他の者と区別する。』という意味です。)
また、その遊場となっている建物の配置が「鬼が不利」の配置となっていたため、一度”鬼”になった子は長々と”鬼”をしなければならないことになっていたのです。
上の図の黄色い部分の子を見つけようとした場合、★印の位置までいかなければ見つけることはできません。うまく見つけたにしても”缶を踏みに戻らなければならない”ので、”走る速さ”が重要となります。
やはり、1、2年生のいわゆる”ままこ”以外となると、「走力」「パワー」「経験」など明らかに劣る3、4年生がとても不利となっていて、永遠と鬼となり”半べそ”状態となる風景を目にしました。
もちろん私もそれに含まれていました。とてもつらい経験だったと記憶しています。
私も含め、子供はそのような(半べそ状態)ことを面白がるものです。
なかなか、本題へは進みませんでした。ついつい「缶蹴り」の話で盛りあがってしまいました。(私だけで盛り上がったんですけど…。)