こんばんは。
先日の話題で、「私の家には車がなかった」話をしたかどうか忘れましたが、私の時代にも一家に最低一台は車がありました。大きな農家が多く、割と裕福な生活をしているところがほとんどではないかと思います。
その地域は「米」と「い草」の二毛作が盛んなようでした。小さい時のアルバイトは”い草”関連の仕事ばかりでした。結構いいお金になっていました。
そういうこともあり、一家にトラック等を入れると3~4台くらいはある家が結構あったのではないかと思います。
”私の家には車がなかった”と言いましたが、正確には”父は車を持っていたが、父は家にいなかった”です。
父は私が3歳くらいの時に家を出て行ったので、家族構成は祖父、祖母、母、兄、私、弟の6人家族でした。
今でも覚えています。私、たまたま、その修羅場に居合わせていたもので…。
家を出ていこうとした父の車の助手席に母が乗り込んで、降りようとしたのを無理やり父が引きずり降ろした光景を…。
父は同じ職場の女性と再婚したかったみたいですが、結局は今でも離婚はしていないようです。その相手との間には女の子が一人います。現在、30代後半くらいです。所謂、”腹違いの妹”ですね。2回会いました。
父とは要所要所であっています。
「祖父の葬儀の時」「祖母の葬儀の時」など冠婚葬祭時ですね。
祖父は私が二十歳くらいの時に亡くなったのですが、祖母が亡くなったのは昨年です。享年103歳でした。
その時に父と久ぶりにあったのですが、浴びるほど飲んでいた”お酒”と一日ピースを3箱吸っていた”タバコ”をやめていました。
酒を飲んでいるときにしか話したことがなかったので、少し違和感がありましたが、割とまともな話をしていました。
「胃がん」で胃のほとんどを摘出してなくしていました。あったときは退院して間もなかったようで、少量しか食べれなかったようです。
かなり、痩せていましたが、以前より遥かに健康そうでした。
父のことは「とても嫌い」だったのですが、私も年を取ったせいか、
ふつーに父だと思いました。