禅語の「挨拶」が起こす劇的な変化ってすごい!「挨拶」ってすごく大事!

50代の思考

こんばんは。
「挨拶」と言えば、「こんにちは」「こんばんは」など、軽いコミュニケーションを連想されると思いますが、実はすごい力を持っているのだなと感じました。

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先日、こんなエピソードがありました

前のお宅の鈴木さん(仮名)は50~60代の男性の独り暮らしです。
とてもお仕事が忙しいみたいで、帰宅時間も不規則で、休日も不定期のようです。
嫁さんが言うには「お医者さんみたいよ。白衣着ていたことがあったから」
だそうです。

なんか、「救急病棟」とかで働いているんじゃないかと勝手に想像していたりしていました。とにかく、不愛想でたまに顔を合わすことがあっても知らん顔でした。

挨拶をかわすまで我が家の前のお宅とはほとんど他人状態でした。

近頃バイク通勤してますが、色々と面倒なことが…

今年に入ってからバイクを買いました。家でのバイクを止める場所については、
奥から順に、

バイク→車

となっていまして

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こんな感じで「私の方が早く出勤して早く帰宅する」
ということにより、「朝、車を一旦出してバイクを出して、車を入れる」
という割と面倒な作業をほぼ毎日していました。

いい加減、嫌気がさして最近では門の脇に止めることが多くなりました。

ある日、突然「挨拶」されました

朝、いつものように通勤しようとバイクのところにいると、ちょうど、鈴木さんが帰ってきていて、なんかこっちをじっと見ていました。

すると、

鈴木さん
鈴木さん

おはようございます!
セローですか?私も以前乗ってましたよ。

ちょっと、不意を突かれてしまったせいかその時は挨拶を返して

わたし
わたし

そーですか、今は乗られてないんですね。

みたいな感じの受け答えとなってしまいました。

その後、挨拶は当然するようになりましたが、

鈴木さん
鈴木さん

ちょっと暑くなりましたねー

わたし
わたし

すみませんねーこの前は一斉清掃にでれなくって…

みたいな感じの会話ができるようになってきて、なんか親しげになったような気がします。「なんだなんだ鈴木さん良い人!」みたいな感じです。

私たちが、日ごろ何気に交わしている「挨拶」は、仏教にルーツがある禅語でもあります

「そばに身をすりよせて押しあうこと」という意味を持っています。

「挨拶」の「挨」には「押し開く、近づく」という意味があり、
「挨拶」の「拶」には「迫る。すりよる。」という意味があります。

ちなみに、禅の問答を集めた公案集(碧巌録)の中に

「垂示に云く、玉は火を將て試み、金は石を將て試み、劍は毛を將て試み、
水は杖を將て試む。衲僧門下に至っては、一言一句、一機一境、一出一入、
一挨一拶に深淺を見んことを要し、向背を見んことを要す。」

「言葉を投げかけ、相手の心境をおしはかり、その言動に緩急自在に対処しながら、心と心をぶつけ合う」
という言葉があります。

この中の「一挨一拶」が、日常でわたしたちが使っている”挨拶”の語源です。

言葉を交わさない限り他人であり、「物」とかわらない

毎日のように顔を合わせていても言葉を交わさない限り、その人は見知らぬ人であり
ただの物体にすぎませんが、

ひとたび

  • 「おはようございます!」
  • 「こんにちは!」
  • 「こんばんは!」

と声をかけられた瞬間に「物」から「人」にかわります。

まるで、「モノクロ」から鮮やかな「カラー」に変わるように…

そして、「人」と「人」とのつながりが始まります。

まー皆さん自然とやっていることなのですが…

あとがき

「おはようございます。」「こんにちは」「こんばんは。」自体の意味はほとんどなんの情報もない言葉ですが挨拶された瞬間から、

「得体のしれない人」 ⇒ 「安心できる人」

へと急変します。「得体のしれない人」と「安心できる人」では大違いですね。この180度に近い劇的な変化を「挨拶」という行動は引き起こしているのですね。

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