退職金2,000万円。あなたならローン500万円を完済しますか?
先日、私より2ヶ月早く定年退職を迎えた会社の同期から、こんな相談を受けました。 「退職金が2,000万円入ったから、残っているマンションのローン500万円を全額一括返済して、スッキリしようと思うんだ」
長年肩にのしかかっていた「借金」という重荷。それを退職金という大金で一気にゼロにして、身軽な状態で老後を迎えたい。その気持ちは痛いほどよく分かります。500万円を引いても手元に1,500万円残るのだから、一見すると何の問題もない完璧な老後プランに見えます。
しかし、FP(ファイナンシャルプランナー)2級の資格を持つ私から、彼にはこう伝えました。 「気持ちは分かるが、ちょっと待て。一括返済は『最強の生命保険』を自らドブに捨てる行為かもしれないぞ」
今回は、定年退職者が陥りやすい「住宅ローン一括返済の罠」と、論理的な最適解についてお話しします。

罠①:一括返済した瞬間に消滅する「団信」という最強の保険
住宅ローンを組む時、ほとんどの人が「団体信用生命保険(通称:団信)」というものに加入しています。 これは「もしローンを返している途中で契約者が死亡、または高度障害になった場合、残りのローンは保険金でチャラになりますよ」という制度です。
さて、ここで残酷なシミュレーションをしてみましょう。
- 【パターンA:一括返済をした場合】 退職金から500万円を払い、ローンをゼロにしました。手元に残った現金は1,500万円。 しかしその半年後、もし不慮の事故や病気で亡くなってしまったら? 家族に残されるのは「マンション」と「現金1,500万円」です。
- 【パターンB:一括返済をしなかった場合】 ローンは毎月コツコツ払い続け、退職金2,000万円はそのまま手元に残しました。 その半年後、もし亡くなってしまったら? その瞬間、「団信」が発動して残りのローン500万円はチャラになります。つまり、家族に残されるのは「マンション」と「現金2,000万円」です。
お分かりでしょうか。 一括返済をしたばかりに、万が一の時に家族に残せる現金が「500万円」も減ってしまうのです。高齢になればなるほど、健康リスクは跳ね上がります。住宅ローンの金利は、この「団信という強力な生命保険の掛け金」だと割り切るのが、FP的なリスクヘッジの考え方です。

罠②:「老後の現金(流動性)」は命綱である
「でも、毎月ローンの引き落としがあると、再雇用の安い給料(手取り11万円など)では生活が苦しいんだよ」
この意見もごもっともです。毎月の固定費を下げることは、老後サバイバルの鉄則ですから。 しかし、だからといって「手元の現金(キャッシュ)を減らす」という選択は、さらに危険です。
老後は、家の修繕、車の買い替え、そして何より「医療費や介護費」など、突発的にまとまった現金が必要になるイベントが目白押しです。 もし手元の現金を使い果たしてしまい、後から「やっぱりお金が必要だ」となっても、年金暮らしの高齢者に銀行は簡単にお金を貸してくれません。
「ローン(借金)があること」よりも、「手元に現金がないこと」の方が、老後の生活においては遥かに致命傷になります。 現在の住宅ローン金利が1%前後と非常に低いのであれば、焦って銀行に500万円を返すより、手元に「流動性の高い現金」として置いておく方が、圧倒的に安全なのです。

結論:FPオヤジが導き出す「最適解」
では、退職金で住宅ローンをどう扱うのが正解なのか。私の結論は以下の通りです。
- 原則は「一括返済せず、手元に現金を残す(団信の維持)」 金利が低く、団信の恩恵を受けられる状態なら、退職金には手をつけず、毎月の引き落としを続けるのが最も論理的です。
- 毎月の支払いがどうしても苦しい場合の「一部繰り上げ返済」 もし再雇用後の給料で毎月のローン返済額を払うと赤字になってしまう場合は、500万円全額ではなく、「期間短縮型」や「返済額軽減型」の一部繰り上げ返済を利用し、毎月のキャッシュフロー(収支)が赤字にならないギリギリのラインまで負担を下げるのが賢明です。
「借金ゼロ」という言葉の響きは、精神安定剤としては最高です。 しかし、私たちはその感情の裏にある「数字の罠」を冷静に見極めなければなりません。
銀行の窓口で「一括返済の手続きをお願いします」と言う前に。 まずは今の金利、団信の契約内容、そして今後の生活費を計算し直してみてください。大切な退職金を、感情だけで動かしてはいけませんよ。

